中部地方の縄文1 01 2017.05.11-1
大鹿村中央構造線博物館 長野県下伊那郡大鹿村大河原988 0265-39-2205 月・火休館 撮影可
交通 レンタカーonly
見所
中央構造線の溝の中にある村落。 山上にある溝状の平地。断層帯を通路とする街道。標高700mの山上にある暴れ川。
ここは、あの「大鹿村騒動記」の大鹿村です。誰でもちょっと見てみたい。そんなイメージでした。
趣旨
・縄文海進によって水没した関東平野から逃げて来た縄文人は、甲府を通って八ヶ岳へ、東海地方からは、天竜川を遡って伊那谷へ。
その間にある、富士川周辺には独自な土器文化が起こったようです。
・伊那谷には、赤石・木曽の両山脈に挟まれた天竜川流域に陸封※されてしまった縄文人たちの、超過密に密集した人口故の独自な文化があった。
※・伊那谷が人口過密になった時、食用動植物が不作になった時、更に新天地を求めたいとき、しかし、
北には既に甲府経由の関東系縄文人が勢力を張っていて、容易に移住できなかっただろうと思われます。陸封されたのです。
従って、伊那谷の遺跡は近接し、過密状態になっています。しかし、狭い地域にもかかわらず地域性独自性が各所にみられます。
かなり閉鎖的な集落対立があったのかもしれません。
・伊那谷の超過密縄文人集落の数々を、飢餓から救ったのは、、広大な八ヶ岳とその山麓が井戸尻・尖石、等を養い、高い文化を育んだように、
中央アルプス(木曽山脈)と南アルプス(赤石山脈)の広大な山域が、彼らを養ったようです。
そんな特異な地形の伊那谷の形成を見てみたい。
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目
次 |
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中央構造線を知ろう
10中央構造線の形成
T中央構造線とは何か
1.中央構造線と
フォッサマグナの違い
2.構造線と断層の違い
3.日本の構造線
U中央構造線の形成過程
01ユーラシア大陸の形成以前
@ゴンドワナ大陸
Aゴンドワナ大陸の分裂
B付加体の形成
02日本列島の形成
C横ずれ運動
E四万十帯の付加
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中央構造線の折れ曲がりの原因
03新生代の日本列島
G日本海の形成開始
H1.9千万年前
I1.7千万年前日本海拡大開始
J1.45千万年前日本海拡大終了
K800万年前日本海隆起開始
L500万年前伊豆小笠原弧の
衝突
M1.8万年前(最終氷河期)
11伊那盆地と中央構造線
04南アルプスの隆起
@列島の地形(500-300万年前)
A列島の地形(200-100万年前)
B中央構造線博物館のコメント |
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13中央構造線博物館へ
20行程
21中央構造線へ
天空の豪雨災害地
23大鹿村の周辺環境
大鹿村大河原
秋葉街道
25構造線博物館
26岩石標本園
29地体構造
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30館内展示
40伊那谷盆地の形成 と
南アルプスの傾動隆起
41活断層 「伊那谷断層帯」 と
伊那谷構造盆地 の形成
50信州南部活断層地質図
60伊那谷航空写真
70中央構造線
73
76panel
78西日本の中央構造線
ランドサット画像
80再び展示室
85
90大鹿村歴史民俗資料館ろくべん館
91展示されている民俗資料
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中央構造線を知ろう
10中央構造線の形成 ―中央構造線はどのようにできたのでしょうか―
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T中央構造線とは何か
1.中央構造線とフォッサマグナの違い
・.中央構造線とは 日本最大・最長の断層です。
・フォッサマグナとは、本州中央部の陸塊が陥没している地帯を言います。
(関東-新潟)
2.構造線と断層の違い どちらも断層です。しかし、
・断層とは、地層や岩盤が圧力を受けて割れ、割れた面にそってずれ
動いたものです
両側の地層は、ずれてはいても同じものです。
・構造線とは、断層を境にして隣り合った地層が全く異なるものです。
3.日本の構造線 日本列島の主要な大構造線
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※フォッサマグナは、日本海の拡大に伴い、列島が南に押し出され、
関東を中心にくの字に折れ曲がり、陥没した地域のことです。
その後、伊豆小笠原弧の圧迫により押し戻され、隆起しました。 |
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U中央構造線の形成過程 転載 「日本列島の誕生」 平 朝彦著 岩波新書
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参考資料:地質年代年表
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Aゴンドワナ大陸の分裂 2億6000万年前 (ペルム期)
・北上するプレート運動によって、ゴンドワナは分裂し、揚子地塊やインドシナ地塊となって北上をはじめました。
・それに先立つ石炭紀 (3億6000万年〜3億年前) には、超海洋パンサラサの赤道付近で、
ホットスポットによる海山群ができ、サンゴ礁が発達し、のちの秋吉石灰岩となった。
・その後、三畳紀にかけて、揚子・中朝地塊は衝突合体して南アジア大陸を形成し、シベリア大陸へ接近しました。
・海洋底では海山群の上にサンゴ礁が発達し、大洋底には放散虫の殻からチャートが堆積しました。
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B付加体の形成 2億年〜1億4600万年前 (ジュラ紀)
・石炭紀から三畳紀にかけての海洋底が南アジアの縁に沈み込み、海山群や石灰岩、チャートなどが付加体となった。
美濃・丹波・秩父帯などが付加する。
・ゴンドワナ大陸の小地塊、飛騨外縁帯、南部北上帯、黒瀬川構造体などの「外来岩石」が衝突・付加しました。
・南アジア大陸とシベリア大陸は衝突し、アジア大陸の原型が出来上がりました。
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02日本列島の形成 転載「barrage journal 第46号」 中央構造線 日本列島の誕生
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C横ずれ運動 1億3千万年前 (白亜紀前半) この横ずれ断層面が中央構造線です。
・1億8000万年前(ジュラ期)に
ユーラシアプレートの東端に日本列島の上半分(大陸側=内帯)が成立した。
・1億3000万年前(白亜紀前半)までに、
南方の揚子大陸の東端で日本列島の下半分(太平洋側=外帯)が生まれた。
・北上するイザナギプレートに押されてアジア大陸の東端部で横ずれ断層運動が起り、
東北日本から九州中部にかけての小陸塊が1億3000万年前、北上を始めました。
この、断層の横ずれ運動は、6千万年間続きました。 それによって現在の日本列島が形成されました。 |
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D四万十帯の付加 7千万年前(白亜紀後半)横ずれ運動終了、中央構造線が成立
日本列島の地質が成立した。
・約7千万年前には
太平洋側の北上が終了し日本列島の原型が出来ました。この時中央構造線が出来上がりました。
日本列島の 上部側 (内帯) と、移動した下部側 (外帯) 、の、繋ぎ目が中央構造線です。
・白亜紀から新生代にかけて形成された付加体・四万十帯が、ジュラ紀の付加体の下に潜り込み、
一部を激しく上昇させました。
内帯では火山活動が活発になりました。
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中央構造線の折れ曲がりの原因
03新生代の日本列島
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G日本海の形成開始 2千500万年前 (新生代新第三紀中新世)
・東アジア東方を北行していたイザナギプレートは、南にあった太平洋プレートの、北への拡大に伴い消滅した。
太平洋プレートは北西方向に方向転換し、東アジアを北西に押し始めました。
太平洋プレートは大変重く、急角度でユーラシアプレートに潜り込み、落下、この為に地殻内で巻き上がった
岩石の流れが大陸辺縁を太平洋側に押し出し、下に引き引きこみ始めました。
・2千500万年前には大陸の縁が割れ始め地溝帯が形成され、そこに湖水群や三角州ができ、石炭も堆積しました。
・一方、北では東北海道付加体をもつ、オホーツク地塊が衝突してきました。
・太平洋プレートに続いてフィリピン海プレートも北上する。また伊豆・小笠原弧と九州・パラオ海嶺が形成される。
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I1.7千万年前
・日本海が拡大をはじめ、
四国海盆も拡大を続け、フィリピン海プレートに載った伊豆・小笠原弧がほぼ現在の位置に近づいた。
・この時、フィリピン海プレートは海嶺から左右に湧き出していたため、伊豆小笠原弧は列島に衝突せず、
日本海溝に沿って北に向かっていた。
・1500万年前、北行するフィリピン海プレートに乗って伊豆小笠原弧が関東地方のフォッサマグナ地域に向かい始めた。
(衝突は500万年前)
(日本海拡大終了1500万年前)) |
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J1.45千万年前(第3紀中新世) 日本海拡大終了 日本列島の折れ曲がり フォッサマグナの形成
・1千450万年前になると、オホーツク海も拡大し千島弧ができ始めました。
また日本海の拡大は完了し、
西南日本は時計回りに、 東北日本は反時計回りに回転したことで日本列島は折れ曲がり、
その折れ曲がり部が陥没しました。これがフォッサマグナです。フォッサマグナ(ラテン語で「大きな溝」の意)
この時点では、まだ、東北日本はほぼ水没しておりました。
・フォッサマグナの西端は糸魚川-静岡構造線であり、東端は銚子-柏崎である。
・1400万年前西日本の各地の下にフィリピン海プレートが潜り込み、膨大な熱に溶けた地殻が
上昇して巨大カルデラを形成し、大爆発を引き起こしていた。やがて火山活動は終息し、
巨大カルデラの下のマグマ溜りが冷え固まり、巨大岩塊となった。
以後、1000万年もかかって10km以上隆起し鹿児島南部、宮崎県、四国山地、紀伊山地三河高原などを形成した。
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※「日本列島は回転したのか、折れ曲がったのか」 の議論があります。 論争と言うべきか
日本海の拡大に伴って、列島が南東方向に押し出されたことを、「回転」か「折れ曲がり」かという議論があるそうです。
しかし、これはあることを別々の視点で見ているだけで、言い方を変えただけだと思います。
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K800万年前(第3紀中新世)
・8百万年前には東日本が隆起し始め (まだ水没している)、カルデラの活動が盛んになりました。
また、千島弧の前部が北海道に衝突し、日高山脈を隆起させて行きました。
・5百万年前になると伊豆・小笠原弧の前部が本州へ衝突し伊豆半島が形成されはじめました。
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丹沢の衝突 東日本の隆起
L500万年前
・伊豆・小笠原弧にあった丹沢海嶺が本州に衝突した。日本列島の南西諸島で海水が浸入しはじめた。
・300万年前、
太平洋プレートに引きずられていた北行するフィリピン海プレートが太平洋プレートに阻まれて北西に方向転換。
これに伴って太平洋プレートも北東に列島を押し始めた。(東西圧縮)。300万年間に30km海溝が列島に近付いた。
このため東日本は急速に隆起を始めた。3000mも隆起した。
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200万年前より日本海が東進し、日本列島は東西に押されて山脈が隆起した。 リンク
現在もこの東西圧縮は続いている。
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M1万8千年前(第4紀更新世・最終氷河期)
氷河期のため海水面は現在よりも120mほど低下したため、日本と大陸は陸続きとなり、日本海は閉鎖された。
その後、氷河期の終了とともに海水面が上昇し、日本は大陸から離れ、現在の形となった。
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11伊那盆地と中央構造線
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ここまでのおさらい
01中央構造線の形成 1億3000万年前〜7000万年前
02日本海の拡大 2500万年前〜1450万年前
03丹沢・伊豆半島の衝突 500万年前
フィリピン海プレートの北西行に伴って、その上に乗って北上していた伊豆諸島が、陥没し、折り曲げられた角に衝突し、北西方向に押し返し
始めました。この運動によって中央構造線は、列島内部に食い込むように折れ曲がることとなり、現在のようになりました。
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04南アルプスの隆起 第四紀初め頃 (第四紀は258万年前に始まる更新世258〜1万年前と、 完新世1万年前〜現代、に分けられる。)
・南信地方は500万年前〜300万年前頃まで準平原でした。
・更新世の初め頃 (300〜250万年前)頃から隆起が始まりました。
この隆起は傾動隆起と言われ、、伊那谷を軸に東の方から巨大な板を持ち上げるように隆起し始めました。
原因は太平洋プレートの北西への移動による東西圧縮です。
この動きは100万年前に急激に加速しました。
伊那谷地域の傾動隆起
鮮新世末期250万年前
中部地方は広く準平原でした |
180万年前更新世前期
・赤石山脈隆起開始、谷に土砂流入し、伊那層下部層が堆積
・三河高原が隆起を開始
地下の巨大花崗岩が浮上し、
準平原を乗せて垂直に隆起 |
更新世前期130万年前
・伊那層上層部堆積(砂礫層) |
更新世中期70〜13万年前
・阿寺山地-
木曽山脈の隆起開始
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更新世後期 現在
・赤石山脈も木曽山脈も3千m級に隆起し、現在も隆起し続けている。 |
伊那-赤石傾動地塊運動
・伊那谷を軸として赤石山脈が
傾動隆起した様子 |
中部傾動隆起
・80万年前、木曽山脈は急激に隆起を始めました。
・伊勢湾を軸として、伊那谷までの長い大きな地塊が、東西圧力によって隆起した。伊勢湾は沈降した。 |
右の低地はフォッサマグナ地域
中央の低地が伊那構造盆地
中央の割れ目が中央構造線 |
右から赤石山脈(南アルプス)
構造線を挟んだ隣が伊那山地
左端が木曽山脈(中央アルプス) |
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04南アルプスの隆起 100万年前頃から急激に隆起をはじめた。
中央アルプスの隆起は約80万年前から
@列島の地形
500-300万年前、列島は準平原だった。
A伊那谷の形成 引用伊那谷の土砂動態
250万年前〜100万年前
・塩嶺山地の火山活動に伴う火山泥流が浅く広い谷を埋める。・・・(みそべた層の堆積)
・赤石山地の隆起が始まり、三峰川・小渋川等からの流出土砂に因る広大な扇状地が形成される。・・・(伊那層の堆積)
100万年前〜20万年前
・中央アルプスの隆起が始まり、
・南アルプス地域が今から100 万年前頃から急激な上昇域に転ずることにもなった。
B大鹿村中央構造線博物館によるコメント
南アルプスは 300万年前頃から隆起をはじめ、100万年前に急速に隆起が始まった
中央アルプス 80万年前に急速に隆起をはじめた。
両方とも傾動隆起で中央アルプスは三河高原を中心に、伊勢湾が沈降し、中央アルプスが上昇
南アルプスは伊那谷を基準に伊那山地―赤石山脈が隆起している。
引用地球の話をしよう 〜南アルプスの魅力に感動〜 地形・地質の概要 - 中部地質調査業協会
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13中央構造線博物館へ
伊那谷をドライブしながら、不思議な地形を見ていただきたい。
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20行程
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21中央構造線へ
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天空の豪雨災害地
23大鹿村の周辺環境 大鹿村の河川
大鹿村大河原 大河原はこの付近の地名です。いかにも豪雨災害常襲地帯を表すかのような地名です。
・二つの谷川が合流するこの地域には、南アルプスと伊那山地に降った膨大な量の雨が河川水となり、常に氾濫を繰り返し、
昔から人々は、河川流域の平坦地に住むことはできず、急峻な斜面に住居を構えました。
西日本の山間に行くと、水田を確保するために平地は全て農地とし、集落は山裾などの畑作地に設けたが、それとは違う理由でした。
・しかし、現在は、護岸工事などを行い、「無理くりに (と、地元の人々は言う)」 平地に公共施設など、建物を建てている。
でも、今後、線状降水帯の起きやすい地形の大鹿村付近で、かつての36豪雨の何倍もの大被害が起こらないとは言えない。
100mm/h以上の雨が普通になった現在。36豪雨対策での護岸工事 (50mm/h) では、たいそう危険なことは言うまでもない。
小渋川上流方向(南向)中央構造線に流れ込む支流の川です |
大河原(地名)ここから村役場までの
氾濫原の地名 |
この先には小渋温泉と
南アルプスへの登山口
がある。その先は太平洋 |
元旧家で現在旅館
右馬允(うまのじょう)
高級旅館です |
大鹿村歴史民俗資料館
"ろくべん館"この間を構造線が通っています |
氾濫原の農地に立派な山家山林資源が豊かなようだ |
農地を避けて住居を設けたのでなく、水害常襲を避けるため山裾へ避難 |
西南日本内帯の山々右端は36水害の大西山崩壊地 |
中央構造線の方向(南向) |
新小渋橋秋葉街道南行き方向
秋葉街道は超古い街道 |
南アルプスの山岳地帯に囲まれ、降雨を集めて洪水となる暴れ川。 |
現在は護岸工事で平地に住宅もあるが、今後100mm/h以上が降れば大災害にもなる。 |
構造線の中を走る道路
古来からの秋葉街道。
旧石器・縄文からの道 |
南アルプス(赤石山脈)伊豆小笠原弧に押されてゆっくり線形に隆起中 |
中央アルプス(木曽山脈)急激に隆起中、非線形 |
伊那谷の夜景光はUFOでなく電球 |
36水害の頃は気候変動期で、小寒冷期から温暖期への変わり目でした。
昭和38年には38豪雪など、もあり、異常気象と言われました。 |
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秋葉街道は、
南の方に秋葉神社という、火伏せの神という、火災予防を祈る神社があり、その参詣道である。その先は太平洋につながっています。
関西ならさしずめ、愛宕神社であるが、所変わればである。
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25構造線博物館
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26岩石標本園
ここに並んでいる岩石は、全て大鹿村の河川から集められたものです。
これほど多種多なの岩石がある地域は、大変珍しいのです。
構造線博物館 |
緑色岩中央海嶺で出来た玄武岩 |
枕状溶岩の堆積岩海底火山由来の岩石 |
秩父帯の岩石ジュラ紀の付加体 |
四万十帯赤石層群白亜紀の付加体 |
秩父帯戸台構造体白亜紀浅海成堆積岩類 |
三波川帯の御荷鉾ユニット超苦鉄質・苦鉄質火成岩類 |
中央構造線 |
中央構造線(北向) |
中央構造線(南向)青木川方向 |
領家帯の中央構造線沿いの剪断帯白亜紀〜新第三紀断層岩類 |
三波川変成帯白亜紀低温高圧型変成岩 |
石英閃緑岩源
(マイロナイト) |
領家変成帯白亜紀高温変成岩・深成岩類 |
正面方向に構造線を想定 |
中央構造線←西南日本内帯
西南日本外帯→ |
河川は蛇行している |
下に続く |
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28構造線の通り道panel
構造線の先 |
中央構造線断層鞍部鞍部(あんぶ):山地の尾根または二つの峰の間にあるくぼみ(凹地)。 |
断層鞍部に城の名前答えは右端に |
中央構造線
恐竜時代からの大断層西南日本の内帯・外帯 |
断層鞍部と断層丘陵 |
中央構造線の断層破砕帯は浸食を受けやすく、
構造線が尾根を横切るところに峠のような地形ができます。
鞍部どうしを繋ぐと一直線に並びます。 |
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29地体構造 (=地質体の時間的・空間的相互関係と配置のこと、、って、わかった?? これは、すごい迷訳ですね。意味わからん。)
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博物館岩石園・大鹿の石 |
博物館岩石園・大鹿の石 |
西南日本の地帯構造区分 |
列島の地帯構造 |
大鹿村の地質 |
西南日本の地体構造区分 |
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30館内展示 |
31中央構造線の岩石構造
中央黒い中央構造線
右側:外帯
左側:内帯 |
中央構造線を俯瞰する |
中央構造線央断面 |
南アルプスを形成する地質帯 |
南アルプスの山塊と
構成する岩石 |
西南日本基盤の
地帯構造区分 |
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40伊那谷盆地の形成 と 南アルプスの傾動隆起
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41活断層 「伊那谷断層帯」 と 伊那谷構造盆地 の形成
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鮮新世末期(250万年前)
第四紀変動直前準平原であった |
更新世前期(180万年前)
・赤石ブロック隆起開始
多量の外帯の礫が流入
・高山市付近にあった火山の火砕流濃飛流紋岩の流入。その後、
・木曽山脈の隆起
・隆起に伴う断層の形成 |
更新世前期(130万年前)
・南アルプスは傾動隆起
・伊那層上部層の堆積 |
更新世中期(70万年前)
・赤石山脈の急激な隆起
・中央構造線破砕帯の浸食(断層線谷)
・木曽山脈の急激な隆起の始まり |
現在・木曽赤石山脈急激な隆起中
伊那盆地底も隆起 |
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50信州南部活断層地質図 |
51
活断層地図の説明図 |
凡例の説明
1.表層の堆積物
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氷河地形 |
段丘面の組み合わせ |
扇状地や段丘を造る礫層
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伊那谷の構造性起伏 |
横ずれ断層 |
伊那谷の活断層を調べる
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2.新第三紀層 |
3.基盤岩類 |
地質の配列 |
赤石山地北部の地質の配列
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岩石ができる場所 |
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60伊那谷航空写真 |
62信州南西部の巨大航空写真 ポスターサイズの物は、駒ヶ根市駒ヶ岳ロープウェイ山頂駅で売っていました。\1500
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諏訪湖周辺と赤石山脈北部 |
天竜川源流・山脈の端部
複雑な地質構造が見える |
八ヶ岳・赤石山脈・木曽山脈の様子がわかる |
赤石山脈南端 |
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70中央構造線 |
73
構造線博物館より中央構造線を見る |
中央構造線はどこにある |
大鹿村の中央構造線 |
大鹿村の地帯構造 |
構造線付近の山体 |
西南日本の地質構造 |
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76panel
中央構造線とフォッサマグナ |
プレートの沈み込みモデル |
中央構造線内帯の花崗岩と外帯の結晶片岩の境界 |
1億年前に出来始めた
中央構造線 |
中央構造線大鹿村
安康露頭(国天然記念物) |
伊那山地 (内帯)と
赤石山脈 (外帯)の岩石 |
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78西日本の中央構造線 ランドサット画像
瀬戸内の中央構造線 |
近畿・中部の構造線 |
東海〜伊那の構造線 |
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80再び展示室 |
85
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90大鹿村歴史民俗資料館ろくべん館
・大鹿村は昔から農村歌舞伎が盛んで、13もの歌舞伎舞台がありました。
歌舞伎見物の楽しみの一つは弁当で、一人用弁当を"ろくべん"と言いました。ここには、大鹿歌舞伎の衣装なども収集展示されています。
・大鹿村は、諏訪から続く中央構造線の地溝帯を利用した街道筋にあり、その先端にある「火伏せの神」秋葉神社参詣を目指す人々で賑わいました。
衛星写真で見ると、ズドンと一直線ですが、実際は高い山を上がったり降りたり、その間には、山賊や追剥、強盗なんかが出て旅は大変だったでしょう
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91展示されている民俗資料
ろくべん館 |
高山山頂の特異な環境における |
地域の産業や |
民具・農具 |
民間信仰 |
風俗 |
宿場としてのむかし |
日常生活用具が展示されています。 |
木挽き(こびき)道具
製品にしてだしていたのか |
狩猟道具・銃猟道具 |
ウエストンの登山道具
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山仕事の様子
山家の生業はやはり
林産資源 |
民間信仰については |
よくわかりませんでした。
ただ、このしめ縄は伊那谷特有のように思います |
農機具 |
機織り機 |
機織り教室が開かれています |
宣教師のウエストンは、現地民に担がせて登山。
自分では歩かないのだ。
何だか随分がっかりした。 |
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